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横浜地方裁判所 昭和54年(行ウ)23号 判決 1987年1月26日

神奈川県川崎市麻生区王禅寺一四四一-三一

原告

後藤寧郎

右訴訟代理人弁護士

渡邊隆

櫛田泰彦

同県同市高津区溝ノ口四〇六番地

川崎北税務署長

被告

高橋辰四郎

右指定代理人

川野辺充子

萩野譲

篠田学

勝野功

永野重知

柏倉幸夫

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告の昭和四八年分所得税について被告が昭和五一年六月三〇日付けでした再更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分のうち分離長期譲渡所得の金額を八五九八万一五九〇円として計算した額を超える部分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告の昭和四八年分所得税についての課税経過は別紙一のとおりである。すなわち、原告は昭和五一年二月二六日、総所得金額を二七九万八〇七八円、分離長期譲渡所得の金額を六九七八万四七八〇円とする修正申告をしたところ、被告は、同年六月三〇日付けで総所得金額を右修正申告に係る総所得金額と同額、分離長期譲渡所得の金額を一億六九一一万〇一四〇円とする再更正処分及び過少申告加算税の額を七四万四九〇〇円とする賦課決定処分をした。そして、原告の異議申立て及び審査請求はいずれも棄却された。

2  しかし、右再更正処分及び右過少申告加算税賦課決定処分(以下、一括して「本件処分」という。)は、分離長期譲渡所得の金額の計算について所得税法六四条二項(資産の譲渡代金が回収不能となった場合等の所得計算の特例)の規定を適用せずに所得を過大に認定した違法がある。

よって、本件処分のうち過大認定に係る部分の取消しを求める。

二  請求の原因に対する認否

請求の原因1の事実は認め、同2は争う。

三  被告の主張

1  原告は、昭和四八年六月七日に千葉県八千代市勝田台一丁目二七番五ないし一〇所在の宅地一一一〇・七八平方メートル(以下、「本件土地」という。)を訴外株式会社丸増へ一億八八一六万円で譲渡した。

2  右譲渡に係る分離長期譲渡所得の金額は、次の(1)から、(2)ないし(4)を控除した一億七一七〇万七五〇〇万となる

(所得税法三三条三項、租税特別措置法三一条。なお、別紙二の「本訴における被告の主張」欄参照)。

(一) 譲渡収入金額 一億八八一六万円

本件土地の譲渡代金である。

(二) 本件土地の取得費 九四〇万八〇〇〇円

(三) 譲渡費用 六〇四万四五〇〇円

左記(1)ないし(4)の合計額である。

(1) 仲介手数料 五六四万四八〇〇円

訴外株式会社恒産に対するものである。

(2) 印紙代 二万四七〇〇円

(3) 物件表示フェンス代 二二万円

(4) 打合せその他の費用 一五万五〇〇〇円

(5) 原告は、右(1)ないし(4)のほかに、仮登記抹消費用四万七三六〇円、調査費・旅費・相談謝礼二五〇万円及び申告手数料五万円の計二六九万六七二〇円も譲渡費用に含まれるとし、譲渡費用を合計八七四万一二二〇円として申告している(別紙二の「申告」欄参照)。

しかし、譲渡費用とは、資産の譲渡のために直接かつ通常必要な経費と解されているところ、原告が支払った右仮登記及び抵当権設定登記の各抹消費用は、譲渡のために通常必要な経費とは認められない。また、右調査費・旅費・相談謝礼(弁護士渡邊隆ほかに支払ったもの)は、後記3において述べるとおり、原告と後記訴外東洋技研株式会社(以下、「東洋技研」という。)との間の本件土地以外の権利関係の紛争に関して支払われたものであって、本件土地の譲渡のための費用ではない。更に、右申告手数料(訴外佐竹殿に支払ったもの)は、本件土地の譲渡等によって得た所得に係る所得税等の申告のための費用であり、譲渡のために要した費用ではない。

(四) 特別控除 一〇〇万円

分離長期譲渡所得の特別控除額(租税特別措置法三一条)である。

3  ところで、別紙二の「申告」、「修正申告」欄のとおり、原告は他に保証債務の履行に伴う求債権の行使不能額九九二二万六〇〇〇円が存在するとして、これをも控除して本件土地の譲渡所得金額を計算して申告している。すなわち、原告は、「東洋技研が<1>昭和四八年三月二二日に訴外株式会社から借り入れた六〇〇〇万円及び<2>同年三月二六日訴外石川正子から借り入れた三五〇〇万を弁済しなかったために、連帯保証人である原告が本件土地を譲渡し、その譲渡代金をもって右東洋技研の債務を弁済したものであるところ、東洋技研が倒産状態にあるため、原告は右連帯保証債務の履行に伴う求債権を行使することが不可能であるから、本件土地の譲渡に係る譲渡所得の計算をするに当たっては、所得税法六四条(資産の譲渡代金が回収不能となった場合等の所得計算の特例)二項の規定が適用されるべきである。」旨を主張する。

しかしながら、以下に述べるとおり、本件土地の譲渡は、保証債務を履行するためになされたものではなく、原告と東洋技研との間で締結された土地共同購入事業の清算契約に基づき、原告が同事業の残存債務(東洋技研名義の借入金)の弁済をするためになされたものであるから、保証債務の履行を前提とする右特例の適用はない。すなわち、

(一) 原告は、昭和四〇年暮れころ、訴外玉木幸彦(以下、「玉木」という。)を通じて訴外北辰産業株式会社(以下、「北辰産業」という。)に対し、「費用折半で土地を共同購入し、転居して儲けよう。」との申し入れをしたところ、約半年後、北辰産業もこれを承諾した。そこで、原告と北辰産業とは、土地共同事業として、昭和四三年一月一三日に千葉県船橋市小野田町八九一番地ないし一八所在の土地(以下、「小野田町の土地」という。)を、また、同年五月一五日に千葉県印旛郡白井町根字清水口一六八〇番地所在土地(以下、「白井町の土地」という。)をそれぞれ購入し、更に、土地共同事業としてその後も続けて別紙三の3ないし7の土地を購入し、これらを転売した。

(二) 北辰産業の土地共同事業の権利義務一切は、昭和四六年五月一日に訴外「東成産業株式会社(以下、東成産業」という。)に譲渡され、更に同年一一月一日に東成産業から東洋技研に譲渡された。

(三) 東洋技研は、共同事業の清算を決意し、原告の承諾の下に、昭和四八年三月一五日に水戸信用金庫より一億円

(ただし、一八〇〇万円)を、同月二二日に林株式会社より六〇〇〇万円を、更に同月二六日に石川正子より三五〇〇万円を、いずれも原告が連帯保証人となってそれぞれ借り入れ(林株式会社と石川正子からの借入名義人は東洋技研である。)これらの資産で右共同事業の残存債務をすべて弁済した。

そして、昭和四八年四月三〇日、原告と東洋技研との間で、右借受金の実質債務一億七七〇〇万円を原告が弁済する代わりに、前記共同購入土地である小野田町及び白井町の土地について東洋技研が原告のために持分権を放棄して原告の単独所有とすることを内容とする清算契約が締結された。

(四) 原告は、右清算契約に基づき、前記東洋技研の借受金各債務のうち、林株式会社からの借受分六〇〇〇万円につき昭和四八年六月一五日、また石川正子からの借受分につき同年六月一七日及び同年七月三〇日の二日にわたり、それぞれ弁済した。そして、原告は、それらの弁済資金に本件土地の譲渡代金を充てたものである。

(五) 右のとおり、原告は、自己の清算契約上の債務の履行として、東洋技研名義の林株式会社及び石川正子に対する借受金債務を弁済したものであるから、連帯保証債務の履行として弁済したことによる主債務者に対する求債権が原告に発生する余地はない。

4  仮に、本件土地の譲渡が保証人債務の履行のためになされたものとしても、次に述べるとおり原告は、本件土地譲渡に係る譲渡所得を申告した当時において、その履行に伴う求債権を主たる債務者である東洋技研に対し行使することができたし、原告が林株式会社に弁済した六〇〇〇万円については、共同連帯保証人である玉木に対しても求債権を行使できたのであるから、結局のところ所得税法六四条二項の特例の適用はない。すなわち、

(一) 保証債務を履行するため資産の譲渡があった場合において、その譲渡について所得税法六四条二項の特例が適用されるためには、その履行に伴う求債権の全部又は一部が行使できないことが要件とされているところ、求債権の行使が不能かどうかの判定時期は、当該資産の譲渡に係る確定申告の時期であると解される。なお、確定申告後に求債権の全部又は一部が行使できないこととなったときには、その事実が生じた日の翌日から二月以内に更正の請求をしない限り右特例の適用が受けられない(所得税法一五二条)。

また、所得税法六四条二項に規定する「求債権の全部又は一部を行使することができないこととなったとき」とは、主たる債務者において破産宣告・和議等の手続開始を受けたり、失踪、事業の閉鎖・刑の執行等により債務超過の状態が相当期間継続し、衰微した事業を再興する公算がたたない等の事情が生じ、求債権の全部又は一部の回収の見込みのないことが確実になった場合を指すものと解されている。

(二) ところが、原告が本件譲渡所得を申告した当時(昭和四九年三月)は、もちろんのこと、その後も、主たる債務者である東洋技研は、営業活動を継続しており、原告が本件譲渡所得を申告した当時、東洋技研が求債権を行使できないほどの倒産状態にあったとは到底認められない。

また、林株式会社からの借入金の共同連帯保証人である玉木もまた、原告の本件譲渡所得申告時はもちろん、その後も給与収入を得ているばかりでなく、不動産等の資産も所得しているので、同人に対する原告の求債権の行使も不能であるとは到底認められない。

(三) 右のとおりであるから、仮に本件土地の譲渡が保証債務の履行のためになされたとしても、所得税法六四条二項の特例の適用はない。

5  以上のとおり、分離長期譲渡所得の金額は一億七一七〇万七五〇〇円となるから、その範囲内である一億六九一一万〇一四〇円を分離長期譲渡所得の金額とする本件処分に所得過大認定の違法はない。

四  被告の主張に対する原告の認否

1  被告の主張1の事実は認める

2  同2冒頭の主張は争う。後記五のとおり、分離長期譲渡所得の金額は八五九八万一五九〇円である。

3  同二(一)、(二)の主張、同(三)のうち、(1)ないし、(4)の主張、同(5)のうち、原告が譲渡費用を合計八七四万一二二〇円として申告したこと及び抵当権設定登記抹消費用九万九三六〇円が譲渡費用に含まれないことは認め、その余の同(5)の各支出が譲渡費用に該当しない旨の主張は争い、同(四)の主張は認める。

4  同3冒頭の主張のうち、前段は認め、後段は争い、同(一)、(二)の事実は否認し、同(三)のうち、水戸信用金庫、株式会社、石川正子よりの借入れについて原告が連帯保証人となった事実は認め、その余の事実は否認し、同(四)のうち、「清算契約に基づき」の部分を否認し、その余の事実は認め、同(五)は否認ないし争う。

5  同4、5は否認ないし争う。

五  原告の反論

1  本件土地譲渡による分離長期譲渡所得の金額は、別紙二の「本訴における原告の主張」欄のとおり、八五九八万一五九〇円である。すなわち、争いのない譲渡収入金額一億八八一六万円から、争いのない本件土地の取得費九四〇万八〇〇〇円、譲渡費用八六四万一八六〇円、争いのない特別控除額一〇〇万円及び保証債務の履行に伴う求債権の行使不能額八三一二万八五五〇円を控除した八五九八万一五九〇円が分離長期譲渡所得の金額である。

なお、原告は、修正申告においては、譲渡費用を八七四万一二二〇円としていたが、抵当権設定登記抹消費用九九三六〇円が譲渡費用に含まれないとの被告の見解を認め、本訴では譲渡費用を八六四万一八六〇円と主張するものである。ちなみに、被告も、本件再更正処分においては、譲渡費用を右八六四万一八六〇円としていたものである。

また、原告は、修正申告においては、保証債務の履行に伴う求債権の行使不能額を九九二二万六〇〇〇円としていた。しかし、主たる債務者の東洋技研から一三〇九万七二七四円を回収し得たのでこれを控除し、更に債務者石川正子に対する代位弁済額を元利合計の三六二二万五八二四円とし(申告時にこれを三九二二万六〇〇〇円としていた。)、本訴では、求債権不能額を八三一二万八五五〇円と主張するものである。

2  保証債務の履行に伴う求債権行使不能による所得税法六四条二項の特例が適用されるべき理由は、次のとおりである。

(一) 原告は、昭和四八年三月二二日、東洋技研の林株式会社に対する六〇〇〇万円の金銭債務について、また、同月二六日、東洋技研の石川正子に対する三五〇〇万円の金銭債務についてそれぞれ連帯保証をした。次いで、原告は、連帯保証人として、昭和四八年六月一五日林株式会社に右債務六〇〇〇万円を、また同年六月一七日及び同年七月三〇日石川正子に右債務の元利金合計三六二二万五八二四円をそれぞれ代位弁済した。そして、原告は、右弁済をするために、本件土地を譲渡したものである。

(二) ところが、主たる債務者である東洋技研は、昭和四八年ころ、すでに倒産状態にあり、その後赤字が累積し、同五九年九月三〇日現在の欠損金の合計額は八〇〇〇万円(資本金の倍額)余に達している。このように、東洋技研の営業状態は、正に「債務超過の状態が相当期間継続し、衰微した事業を再開する公算がたたない等の事情が生じ、求債権の全部又は一部の回収の見込みのないことが確実になった場合」に該当する。

3  被告は、昭和四八年四月三〇日、原告と東洋技研との間に、一連の土地購入に関する清算契約が締結され、東洋技研が小野田町と白井町の土地に関する一切の権利を放棄する代償として、原告が林株式会社と石川正子に対する東洋技研の債務を支払った旨を主張する。

しかし、以下のとおり、右のような清算契約は存在しない。すなわち、

(一) 小野田町、白井町の両土地の価格は、当時の評価でせいぜい六〇〇〇万円程度であり、右両土地の価格が一億五〇〇〇万円を超えるなどという立論を前提とする清算契約が存在するはずがない。

(二) 清算契約が成立したとされる時までの原告と東洋技研側の収支についての計数関係が不明もしくはこれについての両者の認識が著しく相違している。したがって、このような状況下で、一方的な数字を基礎に清算の合意が成立するはずがない。ちなみに原告が右清算契約が成立したとされる時点までに北辰産業、東成産業及び東洋技研から交付を受けた金員は約一九〇〇万円にすぎない。他方、北辰産業等が宅地造成、道路建設に要した費用は約四〇〇万円程度であり、購入土地の維持管理に要した費用としては固定資産税等の負担程度があるだけである。

(三) 別紙三の5ないし7の共同購入土地は、原告に無断で玉木及び訴外田所弘らによって売却され、売却代金は費消されていた。そこで、これによって原告が被った右土地の持分権喪失の損害を補償する趣旨で昭和四八年三月末ころ、東洋技研、東成産業及び玉木は、原告に対し、未売却の小野田町と白井町の土地についての同人らの持分権を原告のために放棄したものであってこのときに被告主張のような清算契約が成立したのではない。つまり、石川正子や林株式会社に対して東洋技研を主たる債務者、原告を連帯保証人として負担していた貸金債務は、右放棄によって何らの影響を受けるものではない。

(四) 東洋技研は、昭和四八年二月ころ、原告から預かり保管中の五一〇〇万円を無断で流用した。そして、このことが判明したのが昭和四八年三月末であるから、このような状況下で被告主張のような清算契約が成立するはずがない。

(五) 清算契約が成立したことを示すものであると玉木によって指摘される文書(甲第一六ないし第二一号証)はいずれも昭和四八年三月三〇日に作成されたものであるところ、その後の同年四月一〇日に作成された保証料未払確認書(甲第二二号証の一、二)は土地共同購入事業の継続を前提とした内容となっており、清算契約の不存在を示すものである。

第三証拠

本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  原告の昭和四八年分所得税についてなされた本件処分等の課税経過が別紙一のとおりであることは当事者間に争いがない。

原告は、本件処分には分離長期譲渡所得の金額を過大に認定した違法がある旨主張するところ、「三 被告の主張」欄1のとおり原告所有の千葉県八千代市勝田台所在の本件土地の譲渡によって分離長期譲渡所得が発生したこと、その譲渡収入金額、取得費、譲渡費用中の仲介手数料、印紙代、物件表示フェンス代及び打合せその他の費用並びに特別控除額が「三 被告の主張」欄の2のとおりであることは、いずれも当事者間に争いがない。

そこで、右譲渡費用の他に、更に原告主張の仮登記抹消費用等の支出(「三 被告の主張」欄の2、(三)、(5)参照)も譲渡費用に含まれるか否かの問題はしばらく措き、先ず、本件土地の譲渡に所得税法六四条二項の特例の適用があるかについて検討する。

二  原告が、本件土地の譲渡代金一億八八一六万円の内六〇〇〇万円を昭和四八年六月一五日に林株式会社に対して支払ったこと、また内三五〇〇万円(原告の主張では、利息も含めて三六二二万五八二四円)を同年六月一七日及び同年七月三〇日に石川正子に対して支払ったこと、右の支払いは、原告を連帯保証人、東洋技研を主たる債務者として、林株式会社から同年三月二二日に借り受けた六〇〇〇万円及び同様にして石川正子から同月二六日に借り受けた三五〇〇万円に対する返済であったこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

したがって、本件土地の譲渡は、「保証債務を履行するために資産の譲渡があった場合」という所得税法六四条二項所定の要件を外形的には満たすものである。

ところで、被告は、右弁済は、原告が東洋技研に対して負担する清算契約上の債務の履行としてなされたものであって、主債務者たる東洋技研に対して求債権を取得する余地のないものであるから、所得税法六四条二項の特例の適用がない旨主張する。ところで、原告本人尋問(第一回)の結果によれば、当時原告は公務員であったことが認められるところ、かかる一公務員である原告が何故東洋技研の林株式会社及び石川正子に対する合計約一億円にも上る多額の借受金債務について連帯保証をし、しかも、本件土地を譲渡してまで、その弁済をしたのかということについて少なからぬ疑問が生ずる。そこで、原告と東洋技研との関係、とりわけ原告の林株式会社及び石川正子に対する連帯保証債務及びその履行が東洋技研との関係でいかなる性質を有するものかを検討する。

前記争いのない事実に加え、成立に争いのない甲第一、第二号証、第三〇号証、第五〇、第五一号証、第五六、第五七号証、第七四号証、第七八号証、第八一号証(ただし、後記措信しなし記載部分を除く。)、同乙第二ないし第二二号証、第三九号証、第四五号証の一、二、第五二号証の一ないし三、原本の存在及び成立に争いのない甲第四二号証、同乙第四〇号証、第四八号証、第五一号証の一、二、第六一号証の二、原告本人尋問の結果(第一回)により成立の認められる甲第六三号証の一ないし、第六八ないし第七三号証(ただし、第六八、第六九号証は原本の存在を含む。)、承認玉木幸彦の証言により成立の認められる甲第三ないし第八号証、第一六ないし第二一号証、同乙第二三、第二四号証、第四六号証、証人山田芳香の証言により成立の認められる乙第二五号証、証人小沢英一の証言により成立の認められる乙第二六号証、第六三号証の一、証人長谷川貢一の証言により成立の認められる乙第六一号証の一、証人斉藤忠雄の証言により成立の認められる乙第六二号証の一、原告各下の印影が原告の印章によることに争いがない事実及び証人玉木幸彦の証言により全部真正に成立したと認められる乙第一号証、証人玉木幸彦の証言(ただし、後記措信しない部分を除く。)、原告本人尋問の結果(第一ないし第三回。ただし、後記措信しない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、

1  原告は、昭和三〇年に農林省に入省し、同省農地局建設部に勤務していたが、同三四年から財団法人日本農業土木コンサルタンツに転職し、同三八年農林省に戻り、同省農地局において、農業用水路の設計等を担当したが、その後、水資源開発公団利根導水路建設局に出向し、設計課長として勤務し、同四一年農林省に戻り、中国四国農政局東備土地改良調査事務所、同四三年関東農政局長野平農業水利事業所長、同四六年同局(静岡県)小笠山開拓事業所長、同四八年四月同局鬼怒川南部農業水利事業所長を歴任し、同四九年に退官したこと、原告は、その間、利殖については極めて熱心であったこと、

2  原告は、昭和三八年水資源開発公団利根導水路建設局に勤務していたころ、農林省の農業土木系技術者の親睦団体を通じて、当時北辰産業の取締役であった農林省出身者の玉木と知り合ったこと、北辰産業は、農地改良事業用水門の制作、施工等を目的とする会社であり、玉木が原告と知り合ったのを機に、原告の肝煎りで右公団及び農林省の公共事業たる水門工事の発注を受けることとなっここと、北辰産業では右発注工事を株式会社千里丘製作所に下請させたが、同会社は昭和三八年九月、玉木の実弟の玉木裕が代表者となって大阪府吹田市に設立された会社であったこと、同会社の工場が貧弱であったために、他の公団職員から、かかる工場で公団の工事をさせるのはふさわしくないといわれたこともあったので、原告は玉木らに要求し同工場が右公団等からの受注工事をするにふさわしいような規模に施設の拡充などもさせたこと、

3  原告は、民間団体に就職していた昭和三四年ころ、本件土地を含む勝田台の土地を買い求めたこと、これは、原告が同土地付近に駅が新設されることを見込み、原告ほか、原告が代表者であった三養有限会社及び原告と特別な関係にあった溝口任子の三名の共同名義で先買いをしたものであること、その後、右土地を含む付近一帯の土地は千葉県住宅供給公社によって開発工事等が行われ、その計画によれば、右勝田台の土地の一部が新駅の敷地に予定されたので、同公社は勝田台の土地の全部を一旦買収したうえ、右敷地部分等を除いた残りの土地部分(この部分が本件土地に当る)を減歩方式によって原告らに返還するものとされたこと、同四一年ころ原告と同公社間において、右計画に基づき、勝田台の土地の売買の話がなされたときに、将来減歩された土地が返還されるまでの間、同公社の保証を得て原告が銀行から低利で融資を受けられる旨の合意がなされたこと、そこで、原告は、玉木に対し、右のようにして借り受けられる融資金一四六〇万円の高利での運用方を依頼したこと、北辰産業は、昭和四一、二年から商社の株式会社トーメン(以下、「トーメン」という。)から融資を受けることができたため、原告から右融資を受ける必要がなかったが、玉木としては原告の意向を尊重せざるを得ないので、千里丘製作所において高利でこれを借り受けるようにさせ、結局、同会社が、同四一年九月と同四二年八月の二回にわたり、原告から合計一四六〇万円を月四分ないし五分で借り受けたこと、原告は、右金員の貸付けに際し、千里丘製作所の関係者とは余り面識がないので、玉木にも一応保証させる趣旨で玉木提出名義の手形(甲第五ないし第八号証)の交付を求めたこと、しかし、これらの手形は、千里丘製作所の手形用紙を用いたものであり、その手形債務の支払場所たる金融期間は千里丘製作所の預金口座であって、玉木の口座ではなかったこと、そして、千里丘製作所は、同四三年一〇月二八日、原告の求めにより、右借受金一四六〇万円を原告に返済していること、

4  他方、原告は、昭和四〇年ころ、土地の価格が高騰して来ているうえ、前記のとおり、先買いした勝田台の土地も当初の予想どおり開発されるにつれて値段が上がったことから、金融機関から融資を受けてでも未開発地を買っておくことが一番の利殖になると考えたこと、しかし、原告としては、公務員の身でもあることから、原告一人でこれを大大的に行うことは差障りがあるのみならず、資金面及び管理・処分面においても困難であったので、玉木と共同してこれを行い、その右共同名義人については税務対策上も法人とするのが得策であると考えたこと、そこで、原告は、そのころ、玉木に対し、北辰産業と原告との間において、費用折半、利益折半で土地を購入、転売して儲けようとの誘いをかけたこと、原告は、前記勝田台の土地の値上がりの状況や折からの土地ブームを説明し、千葉県下の土地は金を借りてでも買っておいたら損はしない旨述べて執ように玉木を説得し、また、原告は、その際、共同事業の相手方名義としては玉木個人ではなく、法人たる北辰産業でなければならない旨申し入れたこと、玉木は、原告のこの申し入れは、税金面で法人の方が有利になると原告が考えているためと理解したが、北辰産業は、土地の売買を目的とする会社ではない上、過去にその経験もなく、当時資金的な余裕もなかったので、たやすくこれに応じることはできなかったこと、

5  しかし、玉木は、度重なる原告の申し入れを拒絶し続けては原告の少なからぬ尽力で受注し始めていた農林系統の公共工事の受注を失うことにもなりかねないと判断し、また、原告の誘いどおりこれによって利益が生じるであろうことも考え、北辰産業は、昭和四一年秋ころ原告の右申入れを承諾したこと、

原告は、同四一年当時は、中国四国農政局東備土地改良調査事務所長として岡山県に住んでいたが、原告は、土地の物色にあたっても、主導権を握り、自ら千葉県下の不動産業者に斡旋を依頼し、その情報に基づいて、週末には何度も上京し、北辰産業の車を利用して、玉木らと共に同県下の未開発の土地を物色したこと、そのようにして、両者共同で最初に購入したのが小野田町の土地であり、購入時期は、昭和四二年一二月であり、売買代金は一八〇〇万円であったこと、右売買代金の内金としての手付金五〇〇万円は、原告振出の先日付小切手を同四二年一二月一〇日に売主に交付し、同四三年一月一三日に決済したが、その決済資金五〇〇万円は北辰産業が金融業者から融資を得た借入金であったこと、そして、右残代金一三〇〇万円については、同土地を取得後直ちに同土地に抵当権を設定することを条件に北辰産業が金融業者松田重造から一五〇〇万円を借り受け、その内から残代金分一三〇〇万円を売主に交付して小野田町の土地の所有権を取得すると同時に、松田重造との約定に従い同土地に同人のために抵当権設定登記を経由したこと、なお、右松田からの借入れにあたっては、原告もまた保証の趣旨で連帯債務者となったが、右土地の購入に関する諸費用及び右松田に対する利息の支払は全部北辰産業が負担したこと、北辰産業は、同四三年六月二〇日松田に対し右借受金を返済したこと、右土地の登記簿上の所有名義は原告とされたが、これは原告の強い要望に基づくものであること、原告としては、そうすることによって土地共同購入事業の主導権を握って自己の利益を確保することができるうえ、北辰産業側にいついかなる事態が生じても原告にとっては安全であると考えたこと、

6  北辰産業は、昭和四二年一一月一六日、本店を名古屋市から東京都港区に移転したこと、これは、北辰産業が、農林関係の工事の受注等に便利であったことに加え、千葉県内の土地を取得し、これを管理処分するという原告との共同事業の追行をも考慮したものであったこと、そして、当時、原告と北辰産業が共同で取得していた小野田町の土地については、未開発地であったことから、原告は、これを有利に転売するまでの間遊休させないようにするため、北辰産業に対し、コンクリート二次製品(コンクリート製U字構等)の売却先を世話することができるので、右土地上に簡易なコンクリート二次製品製造工場を建築するように勧めたこと、ただし、原告は堅固な建物を建築することは禁じたこと、北辰産業は、原告の勧めるままに、右土地を宅地化した後の昭和四三年暮ころ、同土地上にプレハブのコンクリート二次製品製造工場及び付属施設を建築して、コンクリート二次製品の製造販売を行ったが、同工場による事業活動は、北辰産業にとっては副次的なものにとどまったこと、

7  その後、原告と北辰産業とは、共同して、千葉県内の未開発地である山林、農地を物色し、昭和四三年五月一五日白井町の土地(山林)を代金約三〇〇万円、同四四年五月榎戸の土地の一部(農地部)、同年一〇月右榎戸の土地の残地を代金合計約六〇〇万円、同同年五月元駒場の土地(農地)を代金約二二〇〇万円、同月三榎の土地(農地)を代金約二二〇〇万円、同年一〇月芝山の土地(農地)を代金約二二〇万円でそれぞれ購入し、原告は右購入代金のうち、榎戸の代金内金九〇万円、元駒場の代金内金約五〇万円、三榎の代金内金約二六〇万円を負担したが、その余の売買代金及び右各売買に伴う手数料、登記料等の諸費用は、小野田町の土地の分を含めて合計約七一〇〇万円を北辰産業が負担したが、これは金融機関等からの借受金によって支払われ、右借入れにあたっては、原告が保証をしたり、右共同購入土地又は原告自身の所有地に担保権を設定したりしたこと、そして、小野田町の土地の場合と同様に、白井町の土地及び元駒場の土地の登記簿上の所有名義は原告とされたこと、元駒場の土地は一部農地であったが、農地法五条の運用許可手続の一切は北辰産業において行ったこと、榎戸、三榎及び芝山の各土地もまた農地であったところから、一応北辰産業又は東成産業が工場用地に転用するということで農地法五条の転用許可を得た関係上、登記簿上も北辰産業又は東成産業の所有名義とされたこと、

更に、原告は、昭和四三年一二月、印旛郡富里村立沢新田字南太木所在(以下、「立沢新田の土地」という。)を代金二四九〇万二五九〇円で自ら購入し、同土地を共同事業の対象物件に組み入れるような素振りをしながら、同四四年四月、代金二五〇〇万円でこれを転売し、右差額を取得したこと、右土地購入代金は原告が千葉銀行成田支店から借受けたものであったが、結局、右借受金のうち約二〇〇〇万円及びこれの利息は北辰産業が負担させられたこと、また、原告は、同四四年一一月下志津の土地を代金約八〇〇万円で、共同事業とは関わりなく、自ら購入したが、同土地が農地であったことに加え、市街化調整区域の問題も生じたために、共同事業の対象物件に組み入れることを希望し、東成産業がやむなくこれを了承し、一応同会社について農地法五条の転用許可を得たので、登記簿上の所有名義も東京産業とされたものであること、

したがって、共同事業の対象物件とされた別紙三記載の土地の購入代金の総額は、諸費用を含めて約八三〇〇万円であり、このうち原告が出損したのは約一二〇〇万円であるが、原告は、立沢新田の土地の購入にあたっての借受金債務約二〇〇〇万円を北辰産業の土地の共同購入事業については、昭和四四年に至るまで、書面によってその事業契約の内容が具体的に明定されることがなく、細部は未確定のまま、出資折半、利益折半という口頭による基本的合意だけを前提に右各土地購入及びその管理が行われたが、右事業は、原告の意のままに進められたこと、しかし、右共同事業の対象である各土地は、将来の近隣土地の開発を見込んで取得された未開発地であっただけに、その転売までは若干の年月を要し、その間にこれを宅地に造成するなどの一応の開発をし、保有することが必要であったが、前記のとおり、その購入代金等の大部分は借受金によって賄われたものであり、これには担保権も設定されているのであって、その担保権が実行されたのでは弁済期が到来して支払の督促を受けた場合には、他の金融業者等から新たな融資を受けてこれを返済する(いわゆる借り換えの方法により担保権も移行する。)ことで購入物件を確保したため、借受金の利子が増大したこと、そのうえ、右購入土地の造成費等も借受金によって賄われたため、借受金の額も膨大となったこと、そのような資金手当のための融資先の確保、手続交渉、購入土地の造成等は専ら北辰産業において実施したこと、

なお、かかる土地共同事業は、原告の意向に従って行われたが、原告は、更に、同四三年五月三〇日に前記溝口任子を北辰産業の取締役に就任させたり、原告が土地の物色などのために上京したときには、北辰産業から同女名義を使って旅費を支出させるなどしていたこと、

8  ところで、北辰産業は昭和四一年、二年ころ以降トーメンから融資を受けていたが、同四四年秋にはトーメンから北辰産業へ役員が送り込まれることとなったこと、トーメンとしては、元来不動産行を目的としていない北辰産業が土地売買に関わっていることを知ればこれに反対するであろうし、とりわけ、原告と北辰産業のそれまでの出資額、権利関係を確定する作業をするであろうと予想されたこと、そこで、原告は、まず、同四四年五月、北辰産業の役員をさせていた前記溝口任子につき辞任の措置を講じ、更に北辰産業とのこれまでの土地共同事業がトーメンから何らの干渉をも受けないようにするために契約書の作成を計画したこと、そして、原告と北辰産業は、その合意の下に、同四四年暮ころ物件共同購入契約書(乙第一号証)を作成したこと、同契約書では、原告と北辰産業は、小野田町の土地購入に際し現に手付金を売主に支払った昭和四二年一二月一〇日よりも前に土地共同購入契約が存在したような形にするために、作成日付を昭和四二年一二月九日とし、また、右土地の転売の際の譲渡所得を少なく見せるために実際の取得費が一八〇〇万円であったにも拘らず、これを三〇〇〇万円と表示し(二条)、更に、土地売買ということでは北辰産業の営業目的に沿わないとの事情もあったので、将来北辰産業のコンクリート事業の基地とすることを土地共同購入目的として揚げ(一条)、原告の住所は、同契約書作成の同四四年暮ころは長野(関東農政局長野平農業水利事業所長)であったにもかかわらず、同契約書の作成当時(昭和四二年一二月)の住所に合わせて岡山県にする等、トーメンからの追求を受けるおそれのないものにしようと試みたこと、しかし、出資折半、譲渡益折半という口頭による合意事項はそのまま同契約書に記載されたこと(一条、二条、五条)、

9  しかし、トーメンの担当者が北辰産業の役員に就任することになった昭和四四年秋ころには、原告と北辰産業が土地共同購入事業を従前どおり維持していくことはトーメンの意向に照らして困難であると予想されたため、原告と北辰産業は、それまで北辰産業が土地共同購入事業で果たしていた部門を北辰産業から分離し、これだけを引き継ぐ別法人の設立を計画したこと、そして、原告の発案を受けた玉木は、同四四年九月、実弟の玉木裕を代表取締役とし、右事業活動を目的とした東成産業を発足させたこと、東成産業は、マンションの一室を会社の本拠地とし、会計担当の田所弘(玉木の実弟)と他に一名程度の社員が常勤する会社であり、特に、原告の身代わりとして、原告と北辰産業とのこれまでの土地共同事業から生じた出資関係の把握、借入金利子の把握、返済、後述のような原告の指示に基づく保証金の計算と支払い等の会計業務に携さわるものであったこと、そして、原告は東成産業に頻繁に出入りし、玉木裕及び田所に指示して原告の意のままの会計書類や計算書を作成させたこと、更に、原告は玉木裕に原告がいわゆるオーナーである三光株式会社の経営するひかり薬局手伝わせるなどして、右玉木及び田所を意のままに使っていたこと、そして、前記共同購入土地の大部分は借受金で取得したものであるが、その金利は東成産業等に負担させるほか、原告が保証をしたり、自己の不動産を担保に供したりなどしたことから、原告は担保保証料として金融機関等からの借受金総額と土地購入代金の差額につき日歩二銭一厘の割合による金員を支払わせ、他方東成産業を自己の身代わりとしてこれを意のままに利用しながら、その経費は全く負担せず、かえって、旅費名義などで原告に金員を支払わせていたこと、

ところで、共同購入土地の大部分は借受金で取得したものであり、その累積利息も蒿みその額が九五〇〇万円にもなって来ているうえに、土地共同購入事業による原告の利益を確実にするための万全の措置として、原告は昭和四四年一一月前記土地共同購入契約書(乙第一号証)の内容を変更する内容の土地共同購入契約書案(甲第九号証)を玉木らに提案したこと、その内容は、右購入代金が、原告自身の所有物件の担保提供のみによって賄われたのではなく、共同購入物件そのものの担保提供によって借り入れた金員をもって賄われたものが多いにもかかわらず、購入土地の所有者はすべて原告であり、(六条)、物件購入のための借入金の金利は全部金員と東成産業が負担し、原告が保証などをした分については担保保証料を取得する旨(四条)記載されていたこと、この点は原告が東成産業の玉木裕らに命じてその経理をほしいままにし、事実上支払を受けたものを正式の契約内容とするものであったこと、しかし、右内容は、北辰産業側にとっては極めて不合理で不公平なものであったから、玉木らは右契約書に押印することを拒んだことから、合意には至らなかったこと、

一方トーメンは、業績不振の北辰産業の二次製品部門を切り離して東成産業に引き取らせることにしたこと、このコンクリート二次製品部門の引き取りに際しては、北辰産業は東成産業に対し、営業上及び資金上の援助を約していたが十分これを果たしていなかったこと、そのような折の昭和四六年四月、トーメンは北辰産業に対する人的資金的援助を中止する意向を固めたこと、北辰産業は、東成産業に対し、いわば債務のみを引き継がせる反面営業上及び資金上の援助はしていなかったところ、トーメンの監視がなくなることとなったため、その残務整理の一環として、同四六年五月一日、北辰産業が有していた前記共同購入土地の利益折半に関する共同土地契約書(乙第一号証)に基づく共同事業の地位の全部を東成産業に譲渡したこと、

10  ところで、前記共同購入土地のうち、はじめて売却されたのが元駒場の土地であって、その時期は昭和四五年一一月ころであり、次に売却されたのが、榎戸の土地であって、その時期は同四六年五月ころであったから、同四六年末の時点では、右二物件以外は全部未売却であったこと、したがって、右の時点まではもとより、それ以降も右共同購入土地が売却されるまでは、北辰産業にしても、東成産業にしても、土地売却による収入がないため譲渡益はおろか、それまでに必要となった借入金や土地造成費等の経費の支払にも支障を来たす状態であったこと、そこで、東成産業は、同四六年一一月一日、原告との間の前記土地共同購入契約上の地位を東洋技研に譲渡したこと、なお、東洋技研は、同四六年一〇月三〇日、各種集塵装置、各種水門の設計、制作、施工等を目的として成立された会社であり、同会社の役員には農林省OBの原告の知人が就任していたこと、

11  東洋技研は、昭和四八年に入ると、原告との間の土地共同購入契約上の地位を清算する意向を有することとなったこと、結局、原告と北辰産業とは、同四二年一二月一〇日の小野田町の土地の手付金交付にはじまって、同四四年末までに別紙三記載の七グループの土地を合計約八三〇〇万円で購入し、これらを造成して宅地にする等したうえ、同四五年五月ころ元駒場の土地、同四六年五月ころ榎戸の土地を売却し、更に、同四七年二月ころ三榎の土地、同年九月ころ下志津の土地、同四八年一月ころ芝山の土地を合計約一億三六〇〇万円で売却し、それらの売却代金は、借入金の返済、利益配分、原告に対する保証料名義などの金員の支払などに費消されていたこと、

したがって、同四八年四月時点では、原告と東洋技研とが、小野田町の土地と白井町の土地を未売却土地として保有していたわけであるが、原告は未時点での小野田町の土地評価額だけでも、二億円程度と見込んでいたこと、当時は、いわゆるオイルショック直前の未曽有の土地ブームに湧き、土地の価格は天井知らずの高騰を続けていた折でもあったこと、他方、この時点では、土地共同購入事業に係る借入金債務としては、水戸信用金庫に八二〇〇万円(歩積拘束分一八〇〇万円があり、名目は一億円)、林株式会社に六〇〇〇万円及び石川正子に三五〇〇万円は、本来、原告が負担すべき立沢新田の土地を購入するための千葉銀行成田支店からの借受金額に相当すること、そして、原告と東洋技研の代理人の玉木との間において、昭和四八年三月末ころから同年四月末ころまでの間に、土地共同事業を終了させることとし、その清算として、原告が右三名の債権者に対する保証債務金一億七千七百万円を履行する代わりに、原告の所有名義にしてあった小野田町の土地と白井町の土地を取得することとし、東洋技研は、右両土地についての持分権を放棄する代わりに原告に対してそれ以上の何らの責任を負担しない旨の清算の合意、すなわち、清算契約が口頭でなされたとこ、

12  なお、右清算契約に際し、原告と東洋技研の代理人玉木との間において、土地共同購入事業に要した経費額、購入土地売却代金等についても話合いがなされたが、両者がこの点の細目について合意をすることは困難であったこと、というのは、当初から出資折半、利益折半という大まかな約定しかなかった上、自己資金が両者とも皆無に等しく、高利の金融にも依存しながら借り替えを反覆せざるを得ず、かつ、事業期間は五年を超える長期に及んだため、支出関係に不明な点が生じ、また、ある支出が土地共同購入事業のための経費か否かにも疑義が生じたからであったこと、

このように経費等の確定の合意が成立しなかったものの、右の清算時までの借入金利子だけでも合計約九五〇〇万円に達しており、他方、購入土地の売却によって既に発生した転売益は前記のとおり売却代金(約一億三六〇〇万円)と取得価額(約八三〇〇万円)の差たる約五三〇〇万円に過ぎなかったこと、そして、東洋技研としては、土地共同購入事業の経費に充てるために借り入れた債務の当面の返済及びそのための再借入金の調達業務を専ら承継前の北辰産業、東成産業を含めた東洋技研の負担において実施してきたのに対し、右の点について原告の寄与がほとんどないとして、原告に対して不満を抱いていたこと、しかも、原告は、右清算時までに北辰産業、東成産業及び東洋技研から、金融機関からの借受金と共同土地購入代金との差額につき、原告や他人名義を使用して日歩二銭一厘の保証料の支払を受けたり、旅費等の名義の金員の支払を受け、その名目やその性格はともかく少なくとも二〇〇〇万円を超える金員の交付を受け、更には、立沢新田の借受金約二〇〇〇万円を同会社に負担させるなどしていたこと、そのうえ、原告が取得する小野田町の土地だけでも二億円程度と見込まれていたこと、

そこで、原告としても、清算の前提となる収支関係の全体を正確に確定できなくても、原告が小野田町及び白井町の両土地の所有権を取得しさえすれば、東洋技研との関係では、一切を清算し、共同事業を終了させた方が得策であると考え、前記清算契約をしたものであること、そして、その際、原告は玉木個人との間においては、東洋技研の債務が一億五七〇〇万円(一億七七〇〇万円から原告個人の本来負担すべき立沢新田の土地に関する二〇〇〇万円を控除した金額)を超える場合には、その超過分は玉木個人が責任を負う旨の合意をしたこと、

13  そして、玉木を代理人とする東洋技研側では、原告が支払責任を果すために必要な土地の売却に協力する旨を約し、対象となった本件土地の売却先について、田所弘が依頼した株式会社恒産の協力を得て株式会社丸増へ売却することができたこと、なお、原告は林株式会社と石川正子への支払は直ちにするが、水戸信用金庫への支払は分割でもよいとして(なお、原告は、水戸信用金庫に対し、債務不存在確認の訴えを提起し、昭和五五年に至って和解をしている。)支払を迫られるまでの間右売買代金のうち林株式会社と石川正子に弁済した残金につき、これを高利貸へ高利で融資することの仲介を玉木らに依頼したこと、しかし、これは実現しなかったこと、かくして、本件土地は昭和四八年六月七日に売却され、原告は同月一五日林株式会社に対し、また同月一七日及び同年七月三〇日石川正子に対し借受金を返済したこと、ところで、林株式会社への債務の弁済期は昭和四八年四月末であったが、同期限後の遅延利息を東洋技研において支払っていたため、林株式会社からは契約上の主たる債務者たる東洋技研に支払の催告がなかったが、右のように原告が自らこれを支払ったものであり、また、石川正子への債務の弁済期は同四八年七月末であり、その弁済期前に、右のとおり原告は債務を返済したこと、これは、原告としても、東洋技研との前記清算契約によって、原告がその責任において支払うべき債務であると確定されたので、その履行としてなされたものであること、

14  なお、前記清算後の同四八年暮のオイルショック後、地価が沈静化したのみならず、原告が小野田町の土地の利用をやめ、これを放置したことから、同五三年ころ以降には同地の工場用地としての利用の実態も失われたところ、同地は市街化調整区域内に位置していることから、建物等を新築、改造し、再び、工場用地とすることも困難な状況となり、著しく価格が下落するに至ったこと、

15  以上の各事実が認められ、甲第八号証の記載、証人玉木幸彦の供述及び原告本人(第一ないし第三回)の供述中右認定に反する部分は前掲証拠に照らして、たやすく措信することができない。

なお、右認定に反する原告の供述部分について不言する。

(一)  まず、原告本人(第一回)は、「北辰産業のコンクリート二次製品製造工場敷地として小野田町の土地を原告の負担において購入し、それが狭小であったことから工場適地を求めて別紙三記載の各土地及び立沢新田の土地を購入した。また、適当な工場が完成して生じる不明の土地については売却して利益折半することとし、昭和四四年一一月に土地購入の当初の時期に遡って転売利益の配分協定(甲第九号証)を締結した。」旨供述している。

しかし、右原告本人の供述中、まず、適当な工場敷地を求めて、次から次へと土地を購入した旨の部分は、常識的にも到底首肯できないところ、証人玉木幸彦の証言によれば、工場敷地としては小野田町の土地しか利用されなかったことが認められることからしても、措信できない。

(二)  次に、原告が小野田町の土地を原告の負担において購入した旨の供述部分に関し、原告本人(第一回)は、更に、小野田町の土地購入のための手付金五〇〇万円は、原告が玉木に融資していた一四六〇万円の返済金のうちから支出されたものである旨供述しているが、前掲乙第二号証、第四八号証、成立に争いのない甲第二七号証の一、二(書込部分は除く。)によれば、右一四六〇万円は、千里丘製作所が原告に対し、昭和四三年一〇月二八日に返済し、他方、右土地購入のための手付金は、同四三年一月一三日北辰産業から売主に支払われていることが認められる。そうすると、手付金の決済がなされた昭和四三年一月一三日から九か月も後に返還になった土地共同購入事業とは無関係な融資金をもって、右手付金の支払に充てることにするというのは通常考え難いところであり、原告本人の右供述部分は措信し難い。

更に、小野田町の土地の残代金一三〇〇万円を支払うために金融業者松田重造から一五〇〇万円の融資を受けたことは原告本人もこれを自認する供述(第一回)をしている。もっとも原告本人は、松田重造の右一五〇〇万円の債務は原告が日本勧業銀行新橋支店から融資を受けた借入金をもって返済した旨を供述(第一回)しているが、前掲乙第三号証、第四号証の一、二、証人玉木幸彦の証言によれば、日本勧業銀行新橋支店は昭和四三年七月に小野田町の土地に抵当権の設定を受けて北辰産業に対して融資をしているので、あり、その上、松田重造への前記一五〇〇万円の返済はそれより前の同年六月二〇日に北辰産業においてなしていることが認められるから、原告本人の右供述部分は措信できない。

したがって、小野田町の土地の購入は、北辰産業が調達した借入金をもってなされたものといわざるを得ない。

(三)  更に、原告本人の供述中、原告と北辰産業との間で、昭和四四年一一月に、土地購入の当初の時期に遡って転売利益の配分についての協定(甲第九号証)が成立した旨の供述部分に関し、まず、甲第九号証の物件共同購入契約書と題する書面には北辰産業代表取締役の押印もなく、原告もまたこれに押印していないことからも、右契約書が精精原告の作成した一つの案文であるということができるとしても、同契約書に記載された合意が北辰産業との間に成立したものとまでは直ちに認め難い。のみならず、証人玉木幸彦の証言中、原告は、東成産業の田所に命じ、一方的に同会社から、金融機関からの借受金総額から共同土地の購入代金を控除した差額につき日歩二銭一厘の保証料の支払を受けていたことを共同事業の発足当初からの契約内容(四条)とし、更に、別紙三記載の共同物件の全部の所有権が実質的にも原告にあることを承認させる(六条)ことなどを意図して右契約書が作成され、北辰産業にこれが署名・押印を求めたので、玉木は余りにも原告に有利であって、北辰産業には極めて不利益な内容であるために署名・押印を拒否した旨の証言に照らし、甲第九号証の成立に関する原告本人の供述はたやすく措信することができない。

その他に以上の認定を覆すに足りる証拠はない。

三  以上の認定事実によれば、東洋技研は、北辰産業が原告との間において締結した共同土地購入契約(乙第一号証)上の地位を東成産業から承継したところ、右契約に基づく原告と東洋技研との間の一切の債権債務関係は、昭和四八年三月末ころから同年四月末ころまでの間において、原告と東洋技研の代理人である玉木との間に締結された清算契約により、原告は、二億円程度と見込まれた小野田町の土地のほか白井町の土地の所有権を取得する代わりに、原告が連帯保証人として林株式会社及び石川正子らに対する借受金債務を含む一切の責任を負わない旨の合意がなされ、土地共同事業の一切が終了したものであり、したがって、原告が右保証債務を履行したからといって、東洋技研に対してこれが求債権を行使し得る立場にはないものと認めるのが相当である。

四  なお、原告は、原告と東洋技研との間に清算契約が成立しなかった旨を縷縷主張するので、念のため検討する。

1  まず、原告は、小野田町と白井町の土地の価格は、借受金四八年ころの評価で合計六〇〇〇万円程度であるから、これを一億五〇〇〇万円以上とする立論を前提とする清算契約が成立するはずがない旨主張し、土地の価格につき、右原告主張の趣旨に沿う記載のある甲第六五ないし第六七号証、第九九号証の一ないし三が存在する。

しかしながら、小野田町の土地だけについてみても、前掲乙第六一号証の一ないし四によれば、同土地は、土地ブームが一応沈静化した後の昭和五〇年一月当時で、しかも、市街化調整区域内に位置したにもかかわらず、同地上には既存の簡易建物(コンクリート二次製品製造工場等)があったため、改築及び建替えが可能であるとして、地元業者によっても、同土地の取引価格は右時点で少なくとも一億八七〇〇万円以上と見込まれたこと、これに対し、右甲第六六号証(乙第六一号証の四と同一)及び甲第六七号証(乙第六一号証の三と同一)記載の評価額は、単に市街化調整区域内の土地としてちゅうしょうてき評価したにすぎないことが認められる。のみならず、前掲甲第六三号証の二によれば、昭和四八年四月ころ、原告自身もまた小野田町の土地を二億円位と見込んでいたことが認められることからも、原告主張の価額に沿う記載のある前記証拠は措信できず、これを前提とする原告の前記主張も採用することができない。

2  原告は、昭和四八年四月以前に北辰産業等から原告が交付を受けた金員は約一九〇〇万円に過ぎず、他方、北辰産業等が宅地造成、整地、道路建設等に要した費用はせいぜい四〇〇万円程度、また北辰産業等が購入土地の維持管理に要した費用は公租公課程度であり、この点については玉木とも認識が一致しなかった以上、清算契約が成立するはずがない旨主張する。

しかし、仮に、原告と玉木との間に共同土地購入契約に基づく費用関係等について著しい認識の違いがあったとしても、原告が小野田町の土地と白井町の土地の所有権を実質的にも取得しさえすれば、右契約に伴う費用に充当された林株式会社及び石川正子らに対する借受金債務を負担しても損はしないものとの判断に立って清算契約を締結したものであることは前記認定のとおりである。

そうすると、右経費などについての原告と玉木との認識に差があったとしても、これが清算契約の成立の有無とは関わりのないことは明らかであるから、原告の右主張はその余の点については判断するまでもなく、採用することができない。

3  原告は、別紙三記載の5ないし7の購入土地については、既に玉木らによって原告に無断で売却され、その売却代金も同人らや東洋技研等によって費消されていたことが判明したので、右損害を墳補する意味で、昭和四八年三月末当時において、未売却の小野田町の土地と白井町の土地につき、東洋技研、東成産業及び玉木は、右両土地の売却益に対する配分請求権を原告に対して放棄したにすぎないから、その見返りとして石川正子らに対する債務の支払責任を原告が負う旨の清算契約等は成立していない旨主張する。

右趣旨に沿う原告本人の供述(第一回)、甲第八一号証の記載部分は証人玉木幸彦の証言に照らしてたやすく措信し難く、その他に右主張を認めるに足りる的確な証拠はない。

なお、仮に、右三グループの購入土地について、東洋技研、東成産業及び玉木らがこれを原告に無断で売却してしまったとしても、清算契約の成立の妨げとなるものではない。すなわち、本件の土地共同購入事業は、自己資金がほとんど無しで開始されたものであり、昭和四四年一一月までに別紙三記載の七グループの土地を合計八五〇〇万円で購入し、その後昭和四五年五月ころに元駒場の土地が売却されたのみで、その余の購入土地はその後も値上がりを待って保有されていたのであるから、購入のための借入金について生じる利子も少なからぬものとなり、更にこれらの利子をも含めた借入金の返済資金を捻出するために再借入れをしなければならず、この再借入金の利子(当初借入金から見ると複利の実質を有する。)の発生も加わって、借入金の累積は膨大となったのみならず、返済資金等の調達に供すべき物件には既に担保権が付着して担保価値がないため、時が経過すれはする程、借入金元利の返済のための資金調達自体にも少なからぬ困難が生じてきたこと、ところが、原告は、右借入金返済のための資金調達には協力せず、かえって、土地購入代金額と借入金額との差額は東成産業、東洋技研らの事業資金に充当されていると看做したうえ、担保保証料名義で右差額に対し日歩二銭一厘の割合の保証料を要求し、その支払を受けるなどしたこと、東成産業、東洋技研及び玉木らは右資金繰りの任に当たったことは前記認定のとおりである。したがって、仮に、東成産業、東洋技研及び玉木が、資金調達が著しく困難となった時点において、いわば他に方法がないとして購入土地を原告に無断で売却したとしても、その使途が借入金の返済等にあったことは玉木幸彦の証言及び弁論の全趣旨によって認められるから、右売却は、土地共同購入事業に実質的な損害を与えたことにはならず、単に経費等を上回る売却益がなかったから、利益の分配がなされなかったにすぎないものと認めることもできる。そうすると、仮に東成産業、東洋技研及び玉木らが別紙三の5ないし7の物件を原告に無断で売却していたとしても、昭和四八年四月ころにそのことをも踏まえて共同事業清算のための合意が原告と東洋技研との間で成立する可能性は十分に存在したということができる。

したがって、購入土地の一部の無断売却を理由に清算契約の不成立をいう原告の前記主張は採用することができない。

4  原告は、昭和四八年二月に田所弘を通じて東洋技研に五一〇〇万円を預けていたが、東洋技研がこれを無断で流用し、それが、判明したのが、同年三月末であるから、このような状況下で清算契約が成立するはずがない旨主張する。

しかし、原本の存在及び成立に争いのない乙第六八号証の一ないし三、同乙第六九号証の一、二、証人玉木幸彦の証言により成立の認められる乙第二八号証、原本の存在について争いがなく、証人長谷川貢一の証言、原告本人尋問(第一回)の結果によれば、本件土地共同事業とは別に、原告が小笠山開拓事業所長の昭和四七年一一月二九日、業者二名と共同して静岡県小笠郡大須賀町所在のみかん山を五〇〇〇万円で購入し、これを同四八年二月六日訴外第一ホテル不動産株式会社に一億四五〇〇万円で売却したが、これが税負担を免れるために契約書上は、原告ほか二名の代わりに訴外シブヤ工業株式会社の代表者の西川美水が右物件の前主からの買受人となって対象物件を第一ホテル不動産株式会社へ売却した形を取ったこと、この関係での仲介ないし事務手続きは原告の依頼を受けた玉木が担当したこと、右転売代金一億四五〇〇万円から購入代金五〇〇〇万円を控除した差益金九五〇〇万円の内七〇〇〇万円は東洋技研が取得し、残二五〇〇万円は原告が取得したこと、原告が無断流用された預託金五一〇〇万円と主張しているものは、右東洋技研取得の転売益七〇〇〇万円のうちからいずれにしろ転売人名義で負担しなければならないはずであった税金相当分一九〇〇万円を控除した五一〇〇万円を意味するものであること、以上の各事実が認められる。

したがって、右の五一〇〇万円の件は、本件土地共同購入事業とは関わりのない話であるから、右の件が、原告と東洋技研との間の土地共同購入事業の清算のための折衡において当然に考慮されるはずであると断定することはできない。かえって、原告としてもそれが一つの理由ともなって、東洋技研との土地共同購入事業を止めることを決意し、東洋技研及び玉木との右事業に伴う一切の権利関係を清算するに至ったものと認めるのが相当である。

したがって、原告の前記主張は採用することができない。

5  原告は、清算契約が存在したことを示す書類として玉木が指摘する甲第一六ないし第二一号証はいずれも昭和四八年三月三〇日に作成されたところ、その後の同年四月一〇日に土地共同購入事業が継続していること、すなわち清算契約が成立していないことを前提とする保証料未払いの確認書(甲第二二号証の一、二)が玉木側から原告宛に郵送されてきているので、清算契約は成立していない旨主張する。

しかし、証人玉木幸彦の証言、原告本人尋問(第一回)の結果によれば、甲第一六ないし第二一号証の各文書はいずれも昭和四八年三月三〇日から同年四月三〇日までの間に作成されたものであり、作成日付は原告の指示に従って恣意的に記載されたものであることが認められるところ、甲第二二号証の一、二の文書は、同年四月一〇日を作成日付とする東洋技研作成名義の同会社の原告に対する同年三月三一日現在における未払保証料の存在を確認することがその内容となっているところ、原告本人尋問(第一回)の結果によれば、右書面では、玉木らが昭和四七年二月一七日に、三榎、下志津、芝山の土地を無断売却し、右土地の購入資金を回収したことを前提として、昭和四七年三月から同四八年三月までの未払保証料の金額を確認していることが認められる。しかし、証人玉木幸彦の証言によっても右の事実が認められいところ、三榎の土地は同四七年二月ころに売却されはしたが、その余の下志津は同年九月ころ、また、芝山の土地は同四八年一月こ

別紙1 課税の経緯

<省略>

別紙2 分離長期譲渡所得金額の計算内訳

<省略>

(注)1.取得費は、譲渡収入金額、188,160,000円に5パーセントを乗じて算出した(和税特別措置法31条の3)。

2.特別控除は、分離長期譲渡所得の特別控除1,000,000円である ( 〃 31条2項)。

ろにそれぞれ売却されたものであることは前記認定のとおりであるから、玉木や東洋技研の責任者らが、かかる売却の時期を看過し、下志津及び芝山の土地までが同四七年二月までに売却されたことを前提として未払保証料が存在する旨の書面を作成するものとは到底考えることはできない。

そうすると、甲第二二号証の一、二は、原告と玉木との間の清算についての話合いの過程において、何人かによって作成され、原告と玉木との間における話題の一となりえたとしても、これをもって、直ちに清算契約が存在しなかったとまでは断定することができず、原告の前記主張は採用することができない。

五  前記二、三の認定事実及び右四の説示から明らかなように、原告は本件土地の譲渡代金をもって林株式会社及び石川正子に対して債務を返済したのであるが、それは、原告と東洋技研との間の清算契約に基づくものであり、原告は右返済分を東洋技研に対して求債し得る関係にはなかったといわなければならない。つまり、原告は、債権者林株式会社及び石川正子との関係では連帯保証人として連帯保証債務を履行したのであるが、右債権者との関係では主たる債務者の地位にあった東洋技研に対しては、求債権を行使できない関係にあったものといわざるをえない。

したがって、求債権の生じる保証債務の履行を前提とする所得税法六四条二項に定める特例は、原告の本件土地譲渡による分離長期譲渡所得の計算に際しては適用のないものというべきである。

そうすると、原告の昭和四八年分所得税の分離長期譲渡所得の金額は、少なくとも、いずれも争いのない譲渡収入金額一億八八一六万円から、取得費九四〇万円八〇〇〇円、特別控除一〇〇万円及び原告主張の譲渡費用八六四万円一八六〇円を控除した一億六九一一万〇一四円を下らないことになるから、右と同額を分離長期譲渡取得の金額とする本件処分に原告主張の違法はない。

六  よって、原告の本訴請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条及び民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 古館清吾 裁判官 岡光民雄 裁判官 橋本昇二)

別紙三 共同購入土地目録

1 小野田町の土地

2 白井町の土地

3 千葉県印旛郡八街町榎戸字富山七〇一―二五及び同堤向七〇八-一、七〇八-五の土地(「榎戸の土地」ということがある。)

4 同県同郡同町八街字元駒場は六五―一他五筆の土地(「元駒場の土地」ということがある。)

5 同県同郡富里村十倉字三榎四九の一三他七筆の土地(「元三榎の土地」ということがある。)

6 同県山武郡芝山町小池字芦ヶ谷七八五他二筆の土地(「芝山の土地」ということがある。)

7 同県佐倉市下志津原字庚甲塚一三二の土地(「下志津の土地」ということがある。)

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